その日は午後4.時から某企業にて取材撮影でした。
取材がはじまってまもなく携帯に着信が・・発信元は私の実家。席を外して電話に出てみると「病院から知らせがはいり、父が危ないらしい」という内容でした。
一方の取材のほう、たまたまその会社の開発コアが我々のデジタルカメラの重要な画像エンジン関連であることがわかり、いろいろ興味深い話がでました。
取材撮影が終わり、実家に電話してみて「亡くなった」ことを知らされました。
大急ぎで、撮影後のデータ調整にとりかかりましたが、その前日のものも残っていて結局調整が終わったのが12.00ころ。バイク便は終了しているのでセブンイレブンに持ち込みました、するとなんと2.00amまでに出せば翌日到着できるというではないですか !!
・ヤマト運輸に感謝しつつ他の雑用にとりかかり。とりわけ子育て系の会議が予定されていたので翌翌日につくる予定だった会議資料を大急ぎで作成し、夜中に人を呼び出し資料を渡しました。
翌朝6.00過ぎの新幹線で京都に向かい、京都実家到着は9.20でした.
そこでは親類のキーマン、葬儀実行委員長と葬儀社が9.00から私を待っていました。
そのあとは仕事のようにめまぐるしく、「葬儀タスク」をこなしていきました。
実務は実行委員長や世話役がやってくれますが、いろいろな決定は喪主がしなくてはなりません。実行委員長には感謝感謝です。
写真の「納棺」は15.00からでした。 お棺と一緒に車に乗り
葬儀会館へ向かう途中も携帯電話の連続でタスク処理。会館には後追いで来た私の妻と子供たちが待っていました。
夕刻よりお通夜。そして無事終了。
お通夜のあと、男4人が葬儀会館にて夜を明かしました。
私は仮眠室から布団を引っ張り出し、お棺の横に敷いて明け方に仮眠。
翌日は告別式。これが13.00からだったので、告別式前の午前だけすこし時間に余裕がもてました。その間に風呂に入れます。
焼香の回数は何回が正式か、知ってますか?
正解は浄土宗が1回〜3回、浄土真宗が1回、父の生家の臨済宗は1回か3回だそう・・・いやいやネットサイトでも諸説あり、確定は難しそうです。心をこめた1回というのがいいかもしれません。
喪主は告別式後、お棺を送り出すときの最後のスピーチをやり、親族だけで斎場にむかいました。
斎場は一切撮影禁止。
焼き終わって骨になった姿を見た経験がなかった妻や子供たちには衝撃的な光景をみせることになりましたが、その姿は撮る事はできませんでした。
初七日も当日やってしまうスタイルなので、すぐさま葬儀会館にもどり、親類縁者で初七日をやりました。
葬儀がすべて終わったあと参列者は親族に対し別れ際なんと声賭けするかご存知ですか?
地方による違いはあろうかと思いますが、関西では「お疲れが出ませんように」と言われます。実際喪主をやってみて、そう声をかけられて緊張感で忘れていた自分は実はとても疲労しているのだろうと気が付きました。
「お疲れが出ませんように・・」、なんとやさしくいい言葉の響きなのだろう、と感じました。現代の「おつかれさま」にちょっと似ていますがニュアンスはぜんぜん違いますね。
葬儀後のスケジュール。いろいろありますね。
初七日 平成 18年 2月
二七日 平成 18年 2月
三七日 平成 18年 3月
四七日 平成 18年 3月
初月忌 平成 18年 3月
五七日 平成 18年 3月
六七日 平成 18年 3月
満中陰 平成 18年 4月
百箇日
- 2006/02/21(火) 22:50:55|
- 父の死、葬儀、法要
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